2013年6月 9日 (日)

「三陸牡蠣復興支援プロジェクト」

 三陸では東日本大震災で牡蠣やワカメの筏が流されてしまい、養殖ができなくなりました。2年前に募集していたオーナー(三陸牡蠣)とになりました。大槌町も応援しました
 その牡蠣が育って、立て続けに届きました。殻つきの大きなもので30個程もあって、食べきれないので、友人たちと「牡蠣を食べる会」を開くことにして、知人がシェフの「東方食養亭」を借り切って、調理をしてもらいました。
 とっても美味しくで大満足です。今もオーナー募集をしていますし、牡蠣だけ買うこともできます。
ど真ん中おおつちhttp://www.otsuchi.jp/
三陸牡蠣http://www.sanriku-oysters.com/

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生で!

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                      素焼きとグラタンで!

サラダやスープ、肉料理もつけてもらいました。

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2013年3月11日 (月)

「これからを生きる君たちへ」 

 大震災のあった2011年3月は卒業式のシーズン。式を中止した高校、4月5日に皆がジャージ姿で式を行った釜石小学校、東大総長など、11の学校の校長先生のメッセージが載っている本です。
 あの日から2年目の今日、この本を取り出して、もう一度読み直ししてみようと思いました。
 東北の地に思いを寄せて、忘れられないあの日、あの地、あの人を目に浮かべ、私にできることを考える日にしたいです。(新潮社2011年)

釜石小学校校歌 井上ひさし作詞
http://www.youtube.com/watch?v=BFo6p90dJko

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2012年11月10日 (土)

「鎮魂と抗い 3.11後の人びと」    山本宗補フォトルポルタージュ

 正視するのが辛くなるような写真もあります。ただ、写真は何が写されているかだけでなく、それを写した人の眼が見えるのだと思います。その眼こそ、私が山本宗補氏を尊敬するところです。
 震災の翌日から被災地に入り写真とともに、ひとりひとりから丁寧にお話を聞いたルポが書かれています。このひとりずつときちんと向き合う姿勢も、マスコミにはできない真のジャーナリストの仕事だと、改めて感じました。
 夥しい数の人が亡くなり今も行方不明の方がたくさんいて、いったい私たちができることは何なのでしょうか? 本書にある僧侶のように鎮魂の祈りを捧げることでしょうか。まるで謝るように180度に腰を折って祈る僧侶の写真があります。
 そして原発事故の後、生活の基盤を失い、家族や地域がバラバラになって、翻弄されている人々の抗い。とりわけ牛舎で命を落としていく牛たちの写真は、本書で初めて見たものです。酪農家の原発への抗議の戦いは、当然であると思います。
 なかなか現地には行かれませんが、この現実をきちんと見ること、祈ること、抗議の声をきちんと出していくことが大切と、本書から多くを学びとれました。忘れない。(彩流社2012年)

山本宗補氏のHP http://homepage2.nifty.com/munesuke/yamamoto-munesuke-photoreportage.htm

 

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2012年4月11日 (水)

「6枚の壁新聞」 石巻日日新聞社編

 布団の中で読了して眠りにつき夢に出てくることが、なんと昨日夜ありました。今朝起きたら、平井美智子記者に直接お会いして、私がこの本の感想を話したことを覚えていました。

 石巻日日(ひび)新聞は昨年の大震災で印刷機が動かなくなり、手書きの壁新聞を作ったことを新聞やテレビのニュースで知り、凄い記者魂だなぁ~と思っていました。

 日本テレビのドキュメンタリードラマ http://www.ntv.co.jp/6mai/ を3月6日に見て、原作が出版されているのを知りました。震災当日から7日間の記録と、6人の記者ひとりひとりの取材日記が時系列で書かれています。

 ドラマで戸田恵子さんが演じた、デスク平井記者の取材日記のなかでは、マスメディアでは殆ど報道されない市民や行政への視線に共感しました。

 また、すべての記者が、津波直後の残酷な景色を、体験した記者というより被災者本人の言葉で書いています。私が記名記事が好きという以上に、記者の方の人間性が伝わってきて顔が見えるようでした。

 ドラマでは「ちゃら男」キャラで描かれていた新米横井記者の記述は、明るく振舞っても深い失望や、現代っ子らしく家族の安否と一緒に買ったばかりのゲームの心配をすることなど、本音が書かれていて好感が持てました。

 人は生死の境にいても、生死が問われるからこそ、「あのワインを飲んでおけばよかった」とか「あの子をデートに誘っておけばよかった」とか・・・(これは私の想像ですが)・・・考えるのではないでしょうか?

 同時に崇高な人生哲学や理念を考えるのだと思います。それを見事に表現されているのが、近江弘一社長です。「ローカリスト」として、マスコミとは違う報道姿勢にブレのないことへ深い尊敬の念を持ちました。

 しかし社長は、印刷できなくなるという危機への対策が甘かったと複雑な心境です。津波対策から高台へ移転した報道機関や自家発電や食糧などの備えを持っていた新聞社に比べて、危機管理の弱さに反省しきりです。

 アメリカワシントンDCのメディア博物館へ提供した壁新聞が、ジャーナリズム精神の根幹と評価され、永久保存される栄誉を受けたことや、日本新聞博物館にも展示されたことは、どうか誇りに思ってほしいです。

 この本は震災の記録として秀逸な本であるだけでなく、チームワークが良く仕事には厳しいけれど、人間関係は家族的な会社の底力と組織力を表現している本でした。(角川新書2011年7月)

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石巻市日和山公園と鹿島御児神社 2012年2月12日撮影

震災当日午後3時45分激しい横殴りの雪の降る中、ここで平井デスクは秋山記者や多くの市民、沿岸の工場などから避難してきた人たちと一緒に、津波が橋を壊し家々を飲込みすぐ足元にまで押し寄せるの見た。

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2012年3月13日 (火)

宮城県石巻市「雄勝硯伝統産業会館」 被災地応援ツアーその6

 小学生の頃から書道が好きだったの私は、上手になりたくて筆は選んで(笑)いましたが、硯は書く字によって大きさを替えるくらいで、こだわりがなく、今はもう持っていません。最近、習字を再開したので、今度こそは良い硯が欲しいなぁ~と思っていました。

 このツアーで訪ねた最初の被災地は、2005年度から石巻市と合併した雄勝町です。道々ガレキの山を見ながら進み、雄勝湾の近くになると「雄勝硯伝統産業会館」が見えてきます。無惨です。

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雄勝硯伝統産業会館 http://www.city.ishinomaki.lg.jp/ogatsu/sangyokanko/ogindsutry/suzirikaikan.jsp

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4 津波が川沿いの家を根こそぎさらって、奥に見える家のあたりまでの上ったのがわかります。

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バスの中から写したのでブレていますが、全国の皆様!に見て頂きたいです。

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2012年3月10日 (土)

南三陸町「語り部さん」 被災地応援ツアーその5

 震災から一年でテレビや新聞での報道や特集が増えていますね。先月被災地を訪ねた私は、『できる範囲で応援することは、他所の人のためとかでなく、自らのこと(たとえば原発の電気は東京で使っていた)』と考えています。できることの中に『伝えること』は大きいです。

 けれど、今もなお、心身の傷が癒えることなく、思い出すことすらしたくないという方もいらっしゃることを忘れられません。

 テレビで「津波の映像が流れますので、予めお知らせします」「不安を感じる方は視聴をお控えください」とコメントされるたび、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を意識します。

 私たちのツアーのバスでは、「震災語り部さん」に現地の案内をして頂きました。震災前は観光ガイドをされていた方たちのなかには、体験を語ることはできないと仕事へ復帰していない方もいらっしゃると伺いました。

 南三陸町の鉄骨だけとなった防災対策庁舎は、ひとつのモニュメントとして残すという意見もありますが、見たくない、壊してほしいという悲しい辛い思いや「声なき声」も多くあると伝え聞いています。

 私の中にも、このブログに書き写真を公開することに迷いもあります。それでも私は、震災後に「自分は何ができるか」を考え、私が全く存じ上げなくても、ここへアクセスしてくださった方々と、共有できたものがあります。今日もアクセスありがとうございます。

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2012年2月13日撮影 語り部さんは「バスを降りて写真を撮るのは結構です。でもポーズはとらないで下さい」と話されました。

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2012年3月 6日 (火)

「河北新報のいちばん長い日…震災下の地元紙」 河北新報社・著

 3月4日"テレビ東京"で「明日をあきらめない…がれきの中の新聞社」がオンエアされました。この本が原作で、ちょうど読み始めていました。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

 私は地方紙が好きで、旅行へ行くとその土地の新聞を買います。また記名記事を見ると、新聞社の肩書ではなく記者の責任を感じてきました。全国紙では毎日新聞に記名が多いように思います。

 河北新報社報報道部長の武田真一氏は、「地元紙として被災者に寄りそっていこう。客観的な記事とすることはなく、記者が見て感じたままを書けば良い」と、すべてを記名記事とします。

 また、新聞はもちろん記者だけで作られるのではなく、用紙の調達から配達までの過程に関わる多くの人や、食事やガソリンの調達などの後方支援があってこそというのが詳しく書かれ、ドラマにも出てきます。

 当時の生の映像が入るドラマ、現場の生の声のわかる本書は、ひとつひとつのエピソードがとても重いです。ただ、マスコミのエゴを感じることも多い昨今、この二つのことが、とても大切だと考えました。(文藝春秋201110月)

 ドラマは、310日(土)東北放送で午後1時から、311日(日)BSジャパン9時から放送されます。

Photo

 石巻市日和山公園2012年2月12日撮影

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2012年3月 2日 (金)

「南三陸町志津川中学校」 被災地応援ツアーその4

 震災直後から長い間、避難所になっていた志津川中学校を訪ねることができました。街の中心部を一望する高台にあり、被害の大きさを知ることができます。(2012年2月12日撮影)

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 写真中央に川があり、その両岸とも建物がない更地になってしまいました。かつての街並みを想像することすらできません。ここへ避難された町民の方は、どんな思いだったでしょうか。

 その頃の私は東京で、震災や計画停電関係の仕事も増えていて、何もできないでいました。地域活動での繋がりから、支援物資を届けるとの呼びかけがあってたので、必要なものをお送りしたり、このブログにアップしました。昨年3月の記事memo  私の記事を見てくださった方からのご協力もありました。

 今回のツアーで、地元の方からお礼の言葉を頂きました。微力ですが、これからも応援します。up

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2012年2月27日 (月)

祝「南三陸さんさん商店街」オープン  被災地応援ツアーその3

 嬉しいニュースです。私のツアーの記録は遅々として進みませんが、南三陸町では、2月25日の雪降るなか、仮設商店街がオープンしました。すべてプレハブですが、被災地のなかでもっとも数の多い35のお店が並んでいて、商店街のまとまりの強さが感じられます。

 私たちのツアーが訪ねた時には、まだ看板もついていませんでしたが、準備の速さにびっくりです。ツアーで昼食を頂いた、山内鮮魚店主、山内さんのブログ http://yamatsuhan.blog73.fc2.com/ の写真から、明るく元気なご様子がわかり嬉しくなりました。想像を絶するご苦労も察しますが、心からのエールを送りたいと思います。

Photo  2月13日山内鮮魚店で、新鮮でボリュームたっぷりのランチ。

この時、仮設商店街はまだペンキ塗りをしていました。Photo_4

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高橋佳生さんのブログ 440倶楽部 http://19560508.at.webry.info/201202/article_7.html 

フロンティアジャパン社長さんのブログhttp://ameblo.jp/eco-products/

にも紹介されていました。

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2012年2月19日 (日)

「南三陸町防災庁舎」 被災地応援ツアーその2

 3.11東日本大震災のひとつの象徴のようにテレビの映像で取り上げられてきた、鉄骨だけが残った宮城県南三陸町役場の防災対策庁舎を見てきました。今も訪ねる方が絶えないようで、綺麗な千羽鶴やお花がお供えされていました。私たちのツアーでも代表者のお焼香と全員の黙禱、献花をいたしました。

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平成24年2月13日撮影Photo_4

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