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2014年7月 2日 (水)

「恵のとき--病気になったら」 晴佐久昌英詩

2年前の夏に入院していた時、
隣のベットにいた彼女と共有してきた詩です。
詩のあとに、今の私の気持ちを載せました。
できたら読んでメッセージください。

『病気になったら』    
病気になったら、どんどん泣こう。
痛くて眠れないといって泣き、...
手術がこわいといって涙ぐみ、
死にたくないよといって、めそめそしよう。

恥も外聞もいらない。
いつものやせ我慢や見えっぱりをすて、
かっこわるく涙をこぼそう。
またとないチャンスをもらったのだ。
自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを。

病気になったら、おもいきり甘えよう。
あれが食べたいといい、
こうしてほしいと頼み、
もうすこしそばにいてとお願いしよう。

遠慮も気づかいもいらない、
正直に、わがままに自分をさらけだし、
赤ん坊のようにみんなに甘えよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
思いやりと まごころに触れるチャンスを。

病気になったら、心ゆくまで感動しよう。
食べられることがどれほどありがたいことか、
歩けることがどんなにすばらしいことか、
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか、
忘れていた感謝の心を取りもどし、
この瞬間に自分が存在しているという神秘、
見過ごしていた当り前のことに感動しよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
いのちの不思議に、感動するチャンスを。

病気になったら、すてきな友達をつくろう。
同じ病を背負った仲間、
日夜看病してくれる人、
すぐに駆けつけてくれる友人たち。
義理のことばも、儀礼の品もいらない。
黙って手を握るだけですべてを分かち合える、
あたたかい友達をつくろう。
またとないチャンスをもらったのだ。
神様がみんなを結んでくれるチャンスを。

病気になったら、必ず治ると信じよう。
原因がわからず長引いたとしても、
治療法がなく悪化したとしても、
現代医学では治らないといわれたとしても、
あきらめずに道をさがし続けよう。
奇跡的に回復した人はいくらでもいる。
できるかぎりのことをして、信じて待とう。
またとないチャンスをもらったのだ。
信じて待つよろこびを生きるチャンスを。

病気になったら、安心して祈ろう。
天にむかって思いのすべてをぶちまけ、
どうか助けてくださいと必死にすがり、
深夜、ことばを失ってひざまづこう。
この私を愛して生み、慈しんで育て、
わが子として抱き上げるほほえみに、
すべてをゆだねて手を合わせよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
まことの親である神に出会えるチャンスを。

そしていつか、病気が治っても治らなくても、
みんなみんな、流した涙の分だけ優しくなり、
甘えとわがままをこえて自由になり、
感動と感謝によって大きくなり、
友達に囲まれて豊かになり、
天の親に抱きしめられて
自分は神の子だと知るだろう。
病気になったら、またとないチャンス到来。
病のときは恵みのとき。

(サンマーク出版2005年)

私はこれまで何度も入院したけど、3週間ほど隣のベットにいた彼女とは、退院後もずっと励まし合ってきた数少ないおひとりです。
私は自己免疫疾患で、とりあえず命に関わることはないけど、原因不明の難治性の難病。彼女の患っている肝臓の難病は、ずいぶん進行していて、その頃から余命を考えていた様子だけれど、5月に危篤に陥るまでは、調子の良い時には、読書やグルメ、旅行もして、余命を楽しんでいました。
6月30日、お亡くなりになったと娘さんから電話を頂きました。
先週、病院で爪を切ってさしあげた時に、次はネイルをしてあげると言ったら、楽しみにしていました。
浮腫んだ足をマッサージしてさしあげて、次は煙のでない張るお灸と、手足の指マッサージのリングを持って行く約束もしました。
叶いませんでした。心残りです。
それでも、彼女からは、たくさんのプレゼントを頂きました。
病気になって良かったことなんて、何もないよね。。。と話していたけど、危篤を乗り越えたあとに彼女は、多くの感謝に気づいたということ。
それは私が伝えた「病気になったら」の詩と同じでした。
彼女からは「いのちの時間」という絵本を教えてもらいました。
短い間だったけど、彼女との会話は、お互いに癒しになりました。
今、私は泣いています。
励まし合う人を、ひとり亡くしました。どうか私にメッセージをください。
享年70歳 合掌。 

https://www.youtube.com/watch?v=Td6sx-Q_m4s

Photo

 

 

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コメント

Lisaさん!
病気になったらを一気に読ませていただきました。
病気になったら何を考えたらいいのかただ泣いてばかり居るんだろうと恐かった。
でも泣いたり、甘えたり、感謝したり・・・信じる事した事もないが神に祈る!すべてをチャンスと受け止める。難しい。
今友人が大きな手術と戦って退院してきました。私は黙々とさりげないメールを送っています、メールを読んで少しでも辛い時間から解放できたらと思うのです。
 大切なお友達が風になって・・・泣いているのね。
どうか青空を見上げる元気をつかんでください。

投稿: せせらぎ | 2014年7月 3日 (木) 00時40分

こんにちは。

どうしようもできないときの悔しさ。こればかりは、人が人として存在するうえで、悲しい定めんなでしょうね。ニンゲンはそのために泣くことができる。

余命がわずかであるということと向かい合うことは、強いというだけではなく、とても勇気がいることですし、人間的にも立派だと思います。
そんななかで、生きるということに情熱を絶やさない人たちは、神様のような高貴な方々です。
次の世代の大勢の方々に、その人の想いや夢は受け継がれていきますよう願うとともに、ご冥福をお祈りします。
残された人は、更に次の世紀のみなさんのために、お祈りをするのが一番だと思います。

投稿: ねこさん | 2014年7月 4日 (金) 09時27分

せせらぎさん◆ねこさん◆ 

メッセージありがとうございます。
私が泣くことも、笑うことも、彼女は今も近くにいてみてくれていると思います。
また私が辛くなったら、甘えさせてもらいます。
思いがたくさんあって、書ききれません。
今日は、お礼だけで失礼います。

投稿: Lisa | 2014年7月 4日 (金) 18時54分

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» それでいいのだ [- Walk Don't Run -]
7月2日、Lisa さんがご自身のブログで、励まし合う人を死という形で失って、「病気になったら 恵のとき」(晴佐久昌英)という詩を書き添えて悲しい想いを綴っている。私はコメントを書けるほどの立派な見識を備えているわけでもなく、ただただ一緒に考えこむだけである。 ● 悲しみの共感 残念なことに多くの人は、他人の悲しみや喜び、怒り、憎しみなどを本当に心から理解することなど、そう簡単にできないのではないかと思う。もちろん、わかり合える人もあるし、心から通じるあえることを可能にする人もある。 でも、突き詰め... [続きを読む]

受信: 2014年7月 3日 (木) 21時55分

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