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2012年3月の投稿

2012年3月21日 (水)

「困ってるひと」 大野 更紗著

 私の持病にぴったりflairの本に出会いました。著者は闘病記ではないと書いているように、子どもの頃のことや、受験、自らの研究内容のことなど、感心しながら興味深く読めます。

 ただ、修士課程に進学したばかりで発症、その後の病院ジプシー、続く検査、訳のわからない病態などには、とても共感しました。専門医に出会い入院hospitalするも、症状を快癒する薬には出会えずwheelchair。。。一般的にはこれを闘病と言うのでしょうが、自身がパニックニ状態になったとか、医者や看護師、ほかの患者のことなどが、客観的book俯瞰的に書かれています。書くことが、セルフカウンセリングになったのかもしれません。

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 私は都合5つの自己免疫疾患を持っていますが、生命の危機に晒されることはありません。皮膚疾患で顔が赤く腫れ上がる以外は、見た目の障害は何もありません。スイート病(Sweet博士が発見)なのですが、この病名を知っている皮膚科と眼科(ぶどう膜炎の合併症がある)以外のドクターや医療関係者に出会ったeyeことがないほど、症例が少な過ぎるようです。

 体格が良くて声の大きい私は、いつでも健康そのものに見られます。起き上がれない程の異常なダルさ辛さ頭痛でも、いったん座ってお喋りしてると、特に電話telephoneでは「元気そうねぇ~♪」crying 

 今朝も数えるだけでノイローゼcoldsweats01になりそうなほど、沢山の種類の薬を飲みました。昨夏以来、5度目の寝たきり引きこもりから、今は脱出しつつあります。頑張れ自分run もう頑張らなくて良いよchick私です。(2011年ポプラ社

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2012年3月13日 (火)

宮城県石巻市「雄勝硯伝統産業会館」 被災地応援ツアーその6

 小学生の頃から書道が好きだったの私は、上手になりたくて筆は選んで(笑)いましたが、硯は書く字によって大きさを替えるくらいで、こだわりがなく、今はもう持っていません。最近、習字を再開したので、今度こそは良い硯が欲しいなぁ~と思っていました。

 このツアーで訪ねた最初の被災地は、2005年度から石巻市と合併した雄勝町です。道々ガレキの山を見ながら進み、雄勝湾の近くになると「雄勝硯伝統産業会館」が見えてきます。無惨です。

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雄勝硯伝統産業会館 http://www.city.ishinomaki.lg.jp/ogatsu/sangyokanko/ogindsutry/suzirikaikan.jsp

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4 津波が川沿いの家を根こそぎさらって、奥に見える家のあたりまでの上ったのがわかります。

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バスの中から写したのでブレていますが、全国の皆様!に見て頂きたいです。

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2012年3月10日 (土)

南三陸町「語り部さん」 被災地応援ツアーその5

 震災から一年でテレビや新聞での報道や特集が増えていますね。先月被災地を訪ねた私は、『できる範囲で応援することは、他所の人のためとかでなく、自らのこと(たとえば原発の電気は東京で使っていた)』と考えています。できることの中に『伝えること』は大きいです。

 けれど、今もなお、心身の傷が癒えることなく、思い出すことすらしたくないという方もいらっしゃることを忘れられません。

 テレビで「津波の映像が流れますので、予めお知らせします」「不安を感じる方は視聴をお控えください」とコメントされるたび、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を意識します。

 私たちのツアーのバスでは、「震災語り部さん」に現地の案内をして頂きました。震災前は観光ガイドをされていた方たちのなかには、体験を語ることはできないと仕事へ復帰していない方もいらっしゃると伺いました。

 南三陸町の鉄骨だけとなった防災対策庁舎は、ひとつのモニュメントとして残すという意見もありますが、見たくない、壊してほしいという悲しい辛い思いや「声なき声」も多くあると伝え聞いています。

 私の中にも、このブログに書き写真を公開することに迷いもあります。それでも私は、震災後に「自分は何ができるか」を考え、私が全く存じ上げなくても、ここへアクセスしてくださった方々と、共有できたものがあります。今日もアクセスありがとうございます。

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2012年2月13日撮影 語り部さんは「バスを降りて写真を撮るのは結構です。でもポーズはとらないで下さい」と話されました。

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2012年3月 6日 (火)

「河北新報のいちばん長い日…震災下の地元紙」 河北新報社・著

 3月4日"テレビ東京"で「明日をあきらめない…がれきの中の新聞社」がオンエアされました。この本が原作で、ちょうど読み始めていました。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

 私は地方紙が好きで、旅行へ行くとその土地の新聞を買います。また記名記事を見ると、新聞社の肩書ではなく記者の責任を感じてきました。全国紙では毎日新聞に記名が多いように思います。

 河北新報社報報道部長の武田真一氏は、「地元紙として被災者に寄りそっていこう。客観的な記事とすることはなく、記者が見て感じたままを書けば良い」と、すべてを記名記事とします。

 また、新聞はもちろん記者だけで作られるのではなく、用紙の調達から配達までの過程に関わる多くの人や、食事やガソリンの調達などの後方支援があってこそというのが詳しく書かれ、ドラマにも出てきます。

 当時の生の映像が入るドラマ、現場の生の声のわかる本書は、ひとつひとつのエピソードがとても重いです。ただ、マスコミのエゴを感じることも多い昨今、この二つのことが、とても大切だと考えました。(文藝春秋201110月)

 ドラマは、310日(土)東北放送で午後1時から、311日(日)BSジャパン9時から放送されます。

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 石巻市日和山公園2012年2月12日撮影

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2012年3月 2日 (金)

「南三陸町志津川中学校」 被災地応援ツアーその4

 震災直後から長い間、避難所になっていた志津川中学校を訪ねることができました。街の中心部を一望する高台にあり、被害の大きさを知ることができます。(2012年2月12日撮影)

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 写真中央に川があり、その両岸とも建物がない更地になってしまいました。かつての街並みを想像することすらできません。ここへ避難された町民の方は、どんな思いだったでしょうか。

 その頃の私は東京で、震災や計画停電関係の仕事も増えていて、何もできないでいました。地域活動での繋がりから、支援物資を届けるとの呼びかけがあってたので、必要なものをお送りしたり、このブログにアップしました。昨年3月の記事memo  私の記事を見てくださった方からのご協力もありました。

 今回のツアーで、地元の方からお礼の言葉を頂きました。微力ですが、これからも応援します。up

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