2015年4月30日 (木)

「村上さんのところ」 村上春樹期間限定公式サイト

 村上春樹氏が読者からの質問メールに返事をするサイトが、この1月からオープンして、今日で更新が終わります。
 私は毎日毎日、回答を読むのを楽しみに過ごしてきたので、終わってしまうのはちょっと淋しいです。ただ、以前にもこうしたサイトが開設されていて、それは本「そうだ、村上さんに聞いてみよう」など、になっています。
 今回は、電子書籍で7月~8月に発売の予定だそうです。
 村上さんの回答は、茶化していると言う人もいましたが、私にとっては、深刻なことも少し引いて俯瞰している、とても大人な対応だと思いました。そしてユーモアもあり、私自身の悩みではなくても、人生の指針と言うと大げさですが、なるほどと思うことが多かったです。
 やっぱり村上春樹って人は偉大だわぁ~♪
 それにしても、どうしてこんなに回答を読むのが楽しかったのかな?
http://www.welluneednt.com/

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2015年3月15日 (日)

「走ることについて語るときに僕の語ること」 村上春樹著

 期間限定サイト「村上さんのところ」 が開設されました。村上春樹氏が、読者の質問に答えてくれるのです。これは以前あった「村上朝日堂ホームページ」で行われた問答を書籍化した「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と「これだけは、村上さんに言っておこう」 2冊の続きとも言えます。
 まぁ3万通にも及ぶいろいろな質問が寄せられ、そこから選ばれた質問に村上さんが答えています。毎日更新されるので、今私の楽しみになっています。
 その中で、時々取り上げられているのが本書です。以前から興味があったのに未読でした。今回読んでみて、著者が小説家としてどのような暮らし方、考え方をしているのかが伝わってきて、とても面白かったです。
 小説家には、集中力、継続する力が必要で、体力がなければ長編小説を書ききることはできない、年齢を重ねて筆力が衰えることがないようにしたいなど、これまで長く毎日走ってきた理由が書かれています。ただ、走る理由は少ないけれど、走らない理由は山ほどあるそうです。
 それでも走るのは、どうやら文章を書くことと似ているようです。瞑想にも似ているのかもしれません。そして、何より楽しいから走る、走ると快調になるから走ることを続けているようです。
 最後の一文がステキです。
『墓碑銘の文句を自分で選ぶことができるのなら~

      村上春樹
      作家(そしてランナー)
      1949-20**
      少なくとも最後まで歩かなかった』

かっこいいなぁ~♪ なんだか、私も走ってみたくなりました。そろそろ春ですし~✿( 文藝春秋2007年 文春文庫2010年)

       Photo             村上さんも走ったハワイ・カウアイ島ハナレイの海

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2015年1月16日 (金)

「シャバはつらいよ」 大野更紗

 『病は、人を孤独にします。病の苦痛とは、身体が病理に侵されてゆくことに耐えることでもあり、その苦痛が「結局、誰にも伝わらない」現実と対峙することでもあります。伝わらないとわかっているけれど、わたしは心のどこかで、あきらめきれないのかもしれません。
 崩すことはかなわないとわかりきっている岩盤に杭を打ち続ける、その気持ち。むやみやたらな、情動じみた感情。それらを言葉にすることが、人の受難や病苦を、分解して相対化する力の源泉になると、信じているのかもしれないです。だから、ものを書き続けているのだと思います。』
 本書の「おわりに」の一文、著者はこんな思いを持って書いていること、そしてその気持ちが私には痛いほどよく解ります。私も自己免疫不全の病気に次々と襲われ、入退院を繰り返し、一向に病名が特定できなかったり、誤診でステロイドを長く服用したらり、少しも症状が改善されない時期もありました。
 この本は「困っているひと」の続編として書かれ、退院後のひとり暮らしが書かれています。助けてくれる人も沢山いるけれど、心の奥底では深い孤独感にさいなまることがあったと思います。そしてなかなか症状が改善されないなか、「生きている意味があるのか」とすら考えます。それでも、福祉の研究のために大学院へ進学しました。
 私は幸い、だいぶ体調が良くなって、再発への恐怖も少なくなってきました。再発したらその時はその時と開き直りができるようになったのかもしれません。それでも時々、生きている意味を考えてしまいます。失職したことが大きかったです。一緒に生きがいを失ったしまいました。
 少しでも「目に見えない障がい」へ理解が深まり、難病を抱えながらも明るく生きていかれるような社会になることを願わずにいられません。(2014年ポプラ社)

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2014年11月 8日 (土)

レストランジャーナリスト犬養祐美子の「人生を変える一皿」

 人生を変えるって、かなり大袈裟なタイトルですが、それだけ美味しいお料理が紹介されているのだなぁ~と思って手にとった本です。
 お寿司やお蕎麦や日本料理、中華、フレンチ、イタリアン、スイーツと各種の名だたるお店が紹介されていて、思わず垂涎。
 美味しいものを頂くと、人はとっても幸せになると思います。
 第一章は最高の晩餐~このシェフにこの一皿あり~
 第二章 美味しいデザイン~目にも口にも美味しい一皿~
 第三章は地方のレストランへ~この一皿を食べに行く~

商品の詳細
 最後に紹介されていたのが、新潟県南魚沼市「欅苑」。ちょうど新潟に行く予定があったので、予約の電話をしてみると泊まることができました。お昼と夕食を食べにいくところだけど、ほんの数組だけは、美味しい朝ご飯を食べるために、離れに泊まれます。 
 母屋は150年も前の庄屋さんの立派なお家。丁寧に作られているお料理の数々は、素材とお出汁の味が生きていて、心と身体にしみわたってきました。折しも魚沼産コリヒカリの新米の季節。この本のお蔭で、深くお料理を味わうことができました。(枻(えい)出版社2010年)

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2014年7月11日 (金)

「いのちの時間」 プライアン・メロニー作 ロバート・イングペン絵

 

出版されている本の引用って、どこまで許されるのかなぁ~。大切に紡いだ絵本たち、「舟を編む」の映画のような辞書たち、リサイクルボックス行きの週刊誌だって、書いて描いて写真を撮っている人たちがいる。

 先週の記事は、ちょっと取り乱していたかもしれません。ごめんなさい。

 晴佐久牧師の詩を丸々と、引用させてもらってしまいました。

 さらに、本になるずっと前に、牧師がコピーして教会の方にお配りしていた詩と、本に載った詩が、少し違っているので、私が好きなように混ぜこぜにしています。

 

 ごめんなさい。そして、ご批判ください。

 謝っているのに、再び、もうひとつの詩の前半だけを引用します。

 私が、きちんと自分を語れないので、先週の記事を読んでくださった方へのお返事に、もう一度、著作権侵害です。

 

 

 

 

「いのちの時間」

 

いのちには、はじめとおわりがあって

 その間を‘生きている”という。

 

いま、こうしている間も

 たくさんのいのちが

 どこかで生まれ

 どこかでおわりをむかえている。

 

そして、いつもそのまん中に、

 生きている時間が満ちている。

 

これは、花、人、鳥、魚、木、動物

 すべてのいのちにとって、

 まぎれもない真実。

 

どんなに小さな虫にとっても

 すべての生き物には

 いつかおわりがやってくる。

 

どれだけ長く生きるのか

 それはだれにもわからない。

 

いきているあいだには

 病気やけがをすることもあり

 死のおとずれが早まることもある。

 

死はとても悲しいこと

 でも、それは生まれる前から

 花、人、鳥、魚、木、動物

 すべてのいのちに約束されたこと。

 

どんな小さな虫にとっても。

 ここにあるいのちは

 それぞれひとつ

 それぞれに一度だけ。

 

大地に根をはる大きな木

 あふれる光や雨をうけて

 ゆっくり百年以上生きたとして

 これは、その木だけのいのちの時間

 

うさぎやねずみは

 数週間で成長し

 その一生はわずか一、二年。

 人参をかじり、チーズをほおばり

 やがて死をむかえる。

 これが、うさぎやねずみの一生、

 いのちの時間。

 

地のぬくもりはじめた春

~~~~~~~~~~

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(新教出版社1998年/藤井あけみ訳)

 引用は、ここで止めておきます。

 あとは本を手元に置いて、素晴らしい絵をともに味わってくださる方がいたら、心から嬉しく思います。

 

 

 私のブログを訪ねてくださり、読む時間をともに過ごしてくださった方に感謝しています。  

 そして、宇宙のエネルギーや地球の自然、すべての命に感謝しています。
 私は、きっと幸せです。

 

 

 

病気になったら


病気になったら、どんどん泣こう。
痛くて眠れないといって泣き、
手術がこわいといって涙ぐみ、
死にたくないよといって、めそめそしよう。
恥も外聞もいらない。
いつものやせ我慢や見えっぱりをすて、
かっこわるく涙をこぼそう。
またとないチャンスをもらったのだ。
自分の弱さと、思いあがりを知るチャンスを。

病気になったら、おもいきり甘えよう。
あれが食べたいといい、
こうしてほしいと頼み、
もうすこしそばにいてとお願いしよう。
遠慮も気づかいもいらない、
正直に、わがままに自分をさらけだし、
赤ん坊のようにみんなに甘えよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
人の情けと、まごころに触れるチャンスを。

病気になったら、心ゆくまで感動しよう。
食べられることがどれほどありがたいことか、
歩けることがどんなにすばらしいことか、
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか、
忘れていた感謝の心を取りもどし、
見過ごしていた当り前のことに感動しよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
この瞬間に自分が存在しているという神秘、
いのちの不思議に、感動するチャンスを。

病気になったら、すてきな友達をつくろう。
同じ病を背負った仲間、
日夜看病してくれる人、
すぐに駆けつけてくれる友人たち。
義理のことばも、儀礼の品もいらない。
黙って手を握るだけですべてを分かち合える、
あたたかい友達をつくろう。
またとないチャンスをもらったのだ。
神様がみんなを結んでくれるチャンスを。


病気になったら、必ず治ると信じよう。
原因がわからず長引いたとしても、
治療法がなく悪化したとしても、
現代医学では治らないといわれたとしても、
あきらめずに道をさがし続けよう。
奇跡的に回復した人はいくらでもいる。
できるかぎりのことをして、信じて待とう。
またとないチャンスをもらったのだ。
信じて待つよろこびを生きるチャンスを。

病気になったら、安心して祈ろう。
天にむかって思いのすべてをぶちまけ、
どうか助けてくださいと必死にすがり、
深夜、ことばを失ってひざまづこう。
この私を愛して生み、慈しんで育て、
いつか御自分のもとへ呼んでくださる方に、
すべてをゆだねて手を合わせよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
まことの親である神に出会えるチャンスを。

そしていつか、病気が治っても治らなくても、
みんなみんな、流した涙の分だけ優しくなり、
甘えとわがままをこえて自由になり、
感動と感謝によって大きくなり、
友達を増やして豊かになり、
信じ続けて強くなり、
祈りのうちに、神の子になるだろう。
病気になったら、またとないチャンス到来。
病のときは恵みのときPhoto


 

 

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2014年7月 2日 (水)

「恵のとき--病気になったら」 晴佐久昌英詩

2年前の夏に入院していた時、
隣のベットにいた彼女と共有してきた詩です。
詩のあとに、今の私の気持ちを載せました。
できたら読んでメッセージください。

『病気になったら』    
病気になったら、どんどん泣こう。
痛くて眠れないといって泣き、...
手術がこわいといって涙ぐみ、
死にたくないよといって、めそめそしよう。

恥も外聞もいらない。
いつものやせ我慢や見えっぱりをすて、
かっこわるく涙をこぼそう。
またとないチャンスをもらったのだ。
自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを。

病気になったら、おもいきり甘えよう。
あれが食べたいといい、
こうしてほしいと頼み、
もうすこしそばにいてとお願いしよう。

遠慮も気づかいもいらない、
正直に、わがままに自分をさらけだし、
赤ん坊のようにみんなに甘えよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
思いやりと まごころに触れるチャンスを。

病気になったら、心ゆくまで感動しよう。
食べられることがどれほどありがたいことか、
歩けることがどんなにすばらしいことか、
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか、
忘れていた感謝の心を取りもどし、
この瞬間に自分が存在しているという神秘、
見過ごしていた当り前のことに感動しよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
いのちの不思議に、感動するチャンスを。

病気になったら、すてきな友達をつくろう。
同じ病を背負った仲間、
日夜看病してくれる人、
すぐに駆けつけてくれる友人たち。
義理のことばも、儀礼の品もいらない。
黙って手を握るだけですべてを分かち合える、
あたたかい友達をつくろう。
またとないチャンスをもらったのだ。
神様がみんなを結んでくれるチャンスを。

病気になったら、必ず治ると信じよう。
原因がわからず長引いたとしても、
治療法がなく悪化したとしても、
現代医学では治らないといわれたとしても、
あきらめずに道をさがし続けよう。
奇跡的に回復した人はいくらでもいる。
できるかぎりのことをして、信じて待とう。
またとないチャンスをもらったのだ。
信じて待つよろこびを生きるチャンスを。

病気になったら、安心して祈ろう。
天にむかって思いのすべてをぶちまけ、
どうか助けてくださいと必死にすがり、
深夜、ことばを失ってひざまづこう。
この私を愛して生み、慈しんで育て、
わが子として抱き上げるほほえみに、
すべてをゆだねて手を合わせよう。
またとないチャンスをもらったのだ。
まことの親である神に出会えるチャンスを。

そしていつか、病気が治っても治らなくても、
みんなみんな、流した涙の分だけ優しくなり、
甘えとわがままをこえて自由になり、
感動と感謝によって大きくなり、
友達に囲まれて豊かになり、
天の親に抱きしめられて
自分は神の子だと知るだろう。
病気になったら、またとないチャンス到来。
病のときは恵みのとき。

(サンマーク出版2005年)

私はこれまで何度も入院したけど、3週間ほど隣のベットにいた彼女とは、退院後もずっと励まし合ってきた数少ないおひとりです。
私は自己免疫疾患で、とりあえず命に関わることはないけど、原因不明の難治性の難病。彼女の患っている肝臓の難病は、ずいぶん進行していて、その頃から余命を考えていた様子だけれど、5月に危篤に陥るまでは、調子の良い時には、読書やグルメ、旅行もして、余命を楽しんでいました。
6月30日、お亡くなりになったと娘さんから電話を頂きました。
先週、病院で爪を切ってさしあげた時に、次はネイルをしてあげると言ったら、楽しみにしていました。
浮腫んだ足をマッサージしてさしあげて、次は煙のでない張るお灸と、手足の指マッサージのリングを持って行く約束もしました。
叶いませんでした。心残りです。
それでも、彼女からは、たくさんのプレゼントを頂きました。
病気になって良かったことなんて、何もないよね。。。と話していたけど、危篤を乗り越えたあとに彼女は、多くの感謝に気づいたということ。
それは私が伝えた「病気になったら」の詩と同じでした。
彼女からは「いのちの時間」という絵本を教えてもらいました。
短い間だったけど、彼女との会話は、お互いに癒しになりました。
今、私は泣いています。
励まし合う人を、ひとり亡くしました。どうか私にメッセージをください。
享年70歳 合掌。 

https://www.youtube.com/watch?v=Td6sx-Q_m4s

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2014年4月 7日 (月)

「今年のお花見」

P3160092 駒沢公園の梅3月16日(日)

隅田公園3月29日(土)P3290111

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P3290108 向島舞妓さんのお茶席

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P3290113_2 お弁当は宇豆基野

近所の団地の桜並木4月1日(火) 

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近所の公園4月1日 (火)

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皇居乾通り一般公開には1時間以上も並んで・・・P4040010 P4040013

ランチは毎日新聞社9階のレストランアラスカ

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北の丸公園から千鳥ヶ淵

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外濠飯田橋のカナルカフェから

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紅茶教室http://blog.flat.ciao.jp/ の桜サンドイッチ

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都立舎人公園「千本桜まつりと花火」4月5日(土)

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いろんなところで、桜を楽しめました。

竹内まりや「満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう~♪」
https://www.youtube.com/watch?v=AOS21QDOxVo

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2014年3月 9日 (日)

東京スカイツリー

我が家のベランダから毎日見ているスカイツリー。初めて行ってきました。上に上るのは混雑しているのであきらめて、水族館へ。その後は家族の食事会。息子が結婚したので、家族が増えて、楽しくなりました。

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P3090082  P3090086 P3090081

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